木津川市議会 2019-09-26 令和元年第3回定例会(第6号) 本文 開催日:2019年09月26日
さらに、日韓関係の深刻な悪化の根本要因としては、安倍首相が韓国の植民地化を進めた日露戦争を美化した2015年の「安倍談話」に象徴されるように、1995年の「村山談話」、1998年の小渕首相と金大中大統領の「日韓パートナーシップ宣言」で明記された「植民地支配への反省」の立場を投げ捨てる態度をとり続けていることであります。
さらに、日韓関係の深刻な悪化の根本要因としては、安倍首相が韓国の植民地化を進めた日露戦争を美化した2015年の「安倍談話」に象徴されるように、1995年の「村山談話」、1998年の小渕首相と金大中大統領の「日韓パートナーシップ宣言」で明記された「植民地支配への反省」の立場を投げ捨てる態度をとり続けていることであります。
戦後70年に当たって8月14日に発表された安倍首相の談話では,「日本が国策を誤り,植民地支配と侵略を行った」という戦後50年の村山談話に示された歴史認識が全く語られず,一般論として人ごとのように植民地支配と侵略に触れただけでありました。
村山談話、また小泉談話は、全て私で統一されております。村山談話の場合でも、随所に私はというくだりが用いられておりますし、最後に私の誓いの言葉といたしますというふうに締めくくられております。小泉談話は、いきなり冒頭から私はから全て始まっているわけであります。そういうところに何か、安倍さん自身はどういうふうにお考えなのかということを逆にお聞きしたいというような感じがいたします。
まさに国民の多くの皆さんがそのことを思っておられると思うんですけれども、この問題について、既に政府は村山談話、またこれを引き継ぐような趣旨の70年談話も発表されておりますけれども、それは日本がとか、私がとかいう主語がないという批判もされております。そういう中で、市長の今のお話は大変重く私たちも受け取らせていただきたいと思います。 さて、今、市民の命がというお話がございました。
しかし、その談話は、我が国はさきの大戦における行いについて繰り返し痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきたと、過去の歴代政権が表明したという事実に言及しただけでありまして、日本が国策を誤り、植民地支配と侵略によってアジアの諸国の人々に対し多大な損害と苦痛を与えたとの村山談話に示されました歴史認識は、首相みずからの言葉として語られませんでした。
3点目、戦後70年に当たり、閣議決定された安倍晋三首相の談話について、8月15日の京都新聞社説は、「曖昧だった首相談話」と題して、『率直に言って村山談話から後退した感が拭えない。「侵略」の文言は入ったが、日本を主語にした表現ではなく、「おわび」についても歴代内閣の立場を引き継ぐという形で盛られ、首相自身の言葉として語られたわけではない。
それは、安倍首相が村山談話を否定するのかどうかが注目されたからです。結果として談話は、侵略や植民地支配、おわびという言葉にも触れるものとなりました。しかし、村山談話や小泉談話のように、日本が国策を誤り植民地支配と侵略を行ったと明確に示すものではなく、主語の抜けた表現であり、おわびもみずからの言葉としては語っていないという、非常に理解しにくい表現でした。
村山談話の内容を姑息に後退させることが万一あれば、日本は信頼を失い、世界の孤児となってしまいます。安倍首相のたった1人の軽はずみな思い違いであっても、閣議決定となれば、全世界に日本人全体の意思として発信され、取り返しのつかない事態を招きます。安倍さんには冷静によく考え、村山さんのように誤りを素直に認めて謝罪する勇気を持ってほしいと思います。
平成7年に出された戦後50年の村山談話において、「戦後50周年の節目に当たり、我々が銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります」と、当時の村山首相がおっしゃっておられます。
5月3日、円山集会、私も参加をしておりまして、そしてそのとき、共産党の穀田議員さんが村山談話を高く評価されまして、何としても守ると言ってくださっておりまして、本当にうれしいなと思っておりました。
最後に、市長は憲法9条の問題、平和の問題、そしてTPP、戦後70年の節目に当たり、村山談話、河野談話、そしてまた、消費税率10%への引き上げの問題及び原発再稼動問題等々に対する市長みずからの認識や意見を私どもから求められても、みずからの信条、信念を語らず、それらは国において議論されるべきものと考えますとしかお答えになりませんでした。
第1は、村山談話、河野談話の継承、第2は、日本軍慰安婦問題について、被害者への謝罪と賠償など、人間としての尊厳が回復される解決に踏み出すこと、第3に、国政の場にある政治家が靖国神社を参拝することは侵略戦争肯定の意思表示であり、行わないこと、第4に、民族差別をあおるヘイトスピーチ根絶の立法措置など、政治が断固たる立場に立つこと、第5に、村山談話、河野談話で政府が表明してきた過去への誤りの反省の立場を、
2点目は、歴史問題について、村山談話や河野談話に対する認識について質問します。村山内閣総理大臣談話、戦後50周年終戦記念日に当たっては、平成7年、1995年8月15日の戦後50周年記念式典に際して、第81代内閣総理大臣の村山富市氏が閣議決定に基づき発表した声明であり、以後の内閣にも引き継がれ、日本国政府の公式の歴史的見解として現在も扱われています。 村山談話は主に四つのフレーズで構成されています。
(2)歴史問題について「村山談話」「河野談話」に対する認識について。 (3)核廃絶を目指すNPT会議が開催される(5年ぶり)。「核兵器禁止条約の国際交渉開始」が進むことが重要である。市長の認識を問う。 2 教育問題について 24年間教育分野に対する質問を系統的に行ってきた。しかし、課題も多くある。以下の点について教育長の認識を問う。
政府の公式見解の重みというのは村山談話とか河野談話がよく言われますけど、私は、この比ではないということは皆さんご承知のことだと思います。政府は、外交・防衛・経済など、いろいろな分野で多くの公式見解を出していると思います。その出した政府の公式見解は、最初に出したときから、いろいろな変化に応じて修正しているのも事実と思います。 そこで1点目、質問します。
の記念式典、これは日本による植民地支配下の朝鮮半島で1919年3月1日に独立運動が起き、半島全体に広がって200万人が参加、しかし日本による武力弾圧で7,500人の死者が出たという、このことについて演説し、日本政府の歴史認識について、真の勇気は過去を否定することではなく、歴史をありのままに直視し、次世代に正しい歴史を教えることだと訴え、日韓の協力関係は平和憲法を土台にした周辺国と友好関係を築き、村山談話
まず、1点目についてでありますが、現在、政府は村山談話についてその認識において歴代内閣の立場を引き継いでいることを重ねて示されているところであります。 私といたしましては、私たち一人一人が平和であることに感謝するとともに、地域社会から恒久平和の実現に向け、一層、取り組んでいくことが重要であると存じております。
私は、この村山談話が正しいと思っております。
その根底には、首相の村山談話見直し発言、麻生副総理のナチズム肯定発言など、過去のファシズムや侵略戦争を肯定する安倍政権の歴史逆行の立場があります。第二次世界大戦後の国際秩序は、過去の日本・ドイツ・イタリアによるファシズムと侵略戦争を断罪し、二度と繰り返してはならないことを共通の土台にしています。この土台を覆そうというものは国際政治に参加する資格はないということです。
1993年と95年に、この問題で河野談話や村山談話が発表されたときに、彼は泣きながら家族にも言えないと私にその話を打ち明けました。それなのに、勇気を振り絞り、命をかけて名乗り出た元慰安婦の方々の証言や、河野談話を否定する人がいまだ日本にいることは実に恥ずかしい話です。 従軍慰安婦制度、ひいては戦争や軍を正当化し、歴史認識をも後退させようとする橋下氏の発言を私は断じて許すことはできません。